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【新庄剛志】が現役時代使い続けたグローブのメーカーは?天才のこだわりとは!

2019/11/20
 
新庄剛志
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新庄剛志、この選手ほどファンに強い印象を与えた人はいないでしょう。

 

そのずば抜けた走力、守備力は超一流でした。

 

そして、現役時代同じグローブを使用していたのも有名な話です。

 

新庄選手は現役時代、練習嫌いだった事で知られています。

 

なんでも、下半身のトレーニングは【ジーパンが履けなくなる】という理由であまり行わなかったそうです。

 

正直な所、才能だけでいえば、あのイチロー選手に匹敵するものを持っていたでしょう。

 

ここでは、その新庄選手についてまとめました。

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新庄選手のプロフィール

新庄選手は長野県に生まれ、福岡県福岡市で育ちます。

 

新庄選手は小学校3年生の時にソフトボールを始めます。

 

ですが、試合に負けた時の審判の判定に納得がいかず、ソフトボールをやめてしまいます。

 

新庄選手は、昔から勝負には妥協しなかったようですね。

 

この抗議を見ていた監督が、「少年野球チームを作ろう」と提案をし、新庄選手はそのチームに加入します。

 

新庄選手の父は、息子をプロ野球選手にしたいという夢をもっていたそうなので、喜んだのではと思います。

 

なお、新庄選手の父はコーチとしてチームに参加し、息子には特に厳しく指導しました。

 

今では、あまり見慣れない光景かも知れませんが、昔は結構こういう事があったと思います。

 

中学校は福岡市長丘中学校の軟式野球部に所属。

 

すでに、走力、肩の強さはけた外れだったそうです。

 

高校では西日本短期大学付属高校へ入学。

 

硬式野球部員として寮生活を送りました。

 

だが、高校三年間のうち、一度も甲子園出場の夢は叶いませんでした。

 

新庄クラスの選手がいるのに、甲子園に一度も出場出来ないのですから、改めて甲子園の難しさを実感します。

 

それでも、ドラフトでは阪神タイガースから5位指名を受けます。

 

ドラフトで指名された理由は主に、肩の良さだそうです。

 

甲子園に出場しなくても、良い素材はスカウトの方に見ていてくれているのですね。

 

プロに入って頭角を現したのは2年目の1992年。

 

「虎のプリンス」という愛称で呼ばれる様になり、徐々に力を発揮しました。

 

シーズン打率は.278本塁打11と結果を残しました。

 

この頃の新庄選手は、成績はもちろん、女性からの人気が凄かったそうです。

 

ファンレターは毎日段ボール1個分あったといいます。

 

3年目の1993年には初めて規定打席へ到達し、打率.257本塁打23本、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得しました。

 

その後、1999年には当時の野村克也監督から、投手の練習を提案されます。

 

これは、当時とても話題になりました。

 

実際、オープン戦で巨人のバッターを抑えていたのを覚えています。

 

野村監督は、新庄選手に、バッターの打ちづらいコースを理解させるのが狙いだったようです。

 

そして同じ1999年には、驚くべき場面がありました。

 

それは、新庄選手が巨人の槇原投手の敬遠球を、打ってサヨナラヒットにしたことです。

 

試合を見ていましたが、一瞬何が起きたのか分かりませんでした。

 

ハッキリと覚えているのは、呆然とした槇原選手の表情です。

 

そして2000年メジャーリーグへの挑戦を表明します。

 

そして、メッツに入団。

 

オープン戦での成績が評価され、みごと開幕メジャーを勝ち取ります。

 

メジャーリーグへは、多くの日本人選手がチャレンジしていますが、圧倒的にピッチャーの方が成功している人数が多くなっています。

 

逆に言えば、野手はメジャーとのレベルの差がありました。

 

それは今も変わりません。

 

その中で、新庄選手は開幕メジャーを勝ち取ったのですから、大変価値がある事だと思います。

 

この年は、抜群の勝負強さを見せ、年俸が1億円を突破します。

 

2002年にはジャイアンツに入団。

 

故障などにより、良い成績は残せませんでしたが、その強肩はアメリカのファンも虜にしました。

 

また、日本人初となるワールドシリーズにも出場し、みごとヒットを放ちました。

 

翌2003年にはメッツに復帰します。

 

メッツでのオープン戦は、4割以上の打率を残すなど新庄選手のバットは冴えに冴えてました。

 

ですが、シーズンに入るとケガの影響もあり、快音が聞かれなくなります。

 

その結果、マイナーでシーズンを終える事になるのです。

 

そして日本プロ野球に復帰した新庄選手。

 

その移籍先は北海道日本ハムファイターズでした。

 

新庄選手は、そのプレーでチームに貢献するのはもちろん、ファンサービスを積極的に取り入れました。

 

時には、ベンチで覆面を被っていたこともありました。

 

この新庄選手のパフォーマンスもあり、日本ハムのファンもどんどん増えていったのを覚えています。

 

日本ハムの人気に火を付けた新庄選手の活躍は、北海道民としてとても大きいものでした。

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使い続けたグローブのメーカー

新庄選手といえば、華やかイメージがあると思います。

 

ですが、新庄選手はそのイメージとは、全く反対の部分も併せ持っています。

 

それは、現役時代に使ったグローブです。

 

なんと、新庄選手は、阪神入団時に購入した7,500のグローブを引退するまで、使い続けていたというのです。

 

このようなプロ野球選手はほとんどいないでしょう。

 

なぜなら、年々良い製品が発売されるからです。

 

メーカーは久保田スラッガーの商品だと言われています。

 

では、なぜ新庄選手はひとつのグローブにこだわったのでしょう?

 

それは、父親から「商売道具は大事にしろ」と教えられたからだと言います。

 

その言葉を新庄選手は忠実に守ったのですね。

 

そして、父親がお亡くなりになった時、そのグローブを一緒に棺に入れたと言う事です。

 

お父様もきっと、幸せに感じたのではないかと思います。

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新庄剛志のまとめ

新庄剛志選手は、その類まれなる引退能力で、プロ野球の世界で華々しく活躍しました。

 

そしてその能力は、メジャーリーグでも通用する事を証明しました。

 

また、北海道日本ハムファイターズのファン獲得に大きく貢献したといえるでしょう。

 

派手さが目立つ新庄選手ですが、ひとつのグローブを使い続ける繊細な心も持ち合わせていた様です。

 

新庄選手は、先日(2019.11)現役復帰を表明しました。

 

是非、不可能を可能にしてほしいと思います。

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